Friday, January 15, 2010
宗派抗争、苦難は続く
聖地訪問者でにぎわうナジャフの初代イマーム(宗教指導者)アリ廟(びょう)近くの路上でアフマドさん(52)は子供服を売っている。バグダッドの北東ディヤラ州出身のスンニ派教徒で元イラク軍中尉だ。
妻はシーア派だ。2003年のイラク戦争後、スンニ派とシーア派の対立が強まった。05年6月、ディヤラの家にシーア派を敵視するスンニ派過激派組織から脅迫状が届いた。「妻を殺すか、離縁するかしろ。さもなければお前と妻を殺す」という内容だ。
06年2月にディヤラ州に隣接するサーマッラのシーア派モスクが爆破され、抗争が激化した。アフマドさんは07年春、妻と3人の子供を連れて妻の故郷ナジャフに移った。「家は買値の4分の1で売り、3枚の毛布だけを持ってきた」という。
ナジャフでは6カ月で120万ディナール(10万円)の家賃を支払う。生活するだけで精いっぱいだという。家賃の支払いで大アヤトラのシスターニ師の事務所から半額の支援を受けたこともある。
スンニ派主導の旧フセイン政権はシーア派を抑圧したが、民衆の間に宗派対立はなかった。アフマドさんは軍で知り合ったナジャフに住むシーア派の友人の家 を訪ねたのがきっかけで、1989年に彼の妹と結婚した。「宗派を超えた結婚は以前は珍しくなかった。いまは対立をあおる者たちが社会をばらばらにしてし まった」と嘆く。
宗派抗争はスンニ派とシーア派が混住するバグダッドを中心に激しさを増した。シリアやヨルダンに国内から200万人の難民が出た。その多くはスンニ派だ。シーア派住民はナジャフなど南部に避難した。
06年11月にバグダッド西郊のアブグレイブから逃げてきたラヒーム・ハッサンさん(59)は農業省支所で働いていたが、失職し、ナジャフで大工として働く。
アブグレイブは過激派のアルカイダ系組織が支配し、シーア派住民への攻撃が続いた。「身の危険を感じて、家財道具を残したまま逃げてきた」とハッサンさんはいう。
55歳の妻は原因不明だが腕が腫れあがった。地元の病院では治療できず、ヨルダンの首都アンマンの病院に連れていったが、治療費が高くて何もしないで 戻ってきた。ナジャフのシーア派宗教権威は助けてくれない。「彼らが面倒を見るのは宗教学生だけだ」とハッサンさんはいう。
一方、強硬なスンニ派部族が支配的なアンバル州出身の歯科医サイド・ファハドさん(44)は、85年にバグダッドの大学歯学部で知り合ったシーア派の妻と結婚し、25年間、ナジャフで働いてきた。
家庭では夫婦はそれぞれの宗派の仕方で礼拝をする。「家庭内の信仰の自由です」と語る。しかし、宗派抗争が始まってファハドさんは故郷にほとんど帰っていない。「アンバル州は部族意識が強い。故郷に戻れば、私自身がシーア派側の人間と見られそうで恐ろしい」と語った。
By 川上泰徳
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